坂本真绫欧洲游记—From Every Where 9-3

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坂本真绫欧洲游记—From Every Where 9-3
20歳で初めて海外に行ったときは電子辞書が手放せなかった。ロンドンでレコーディング。現地のスタッフやミュージシャンに直接気持ちを伝えたいと思っても、文法が間違ってないか、発音がおかしくないか、こんなこと言って笑われないかって、そればかり考えて。自分から話しかける勇気もなかなか持てなかった。だけど彼らは私の英語力にお構いなく「どうしたい?」「どう思う?」「この曲はどんな歌詞?」とまっすぐ目を見て聞いてくる。
そして良いと思ったときには、ワンダフル、ファンタスティック、ジーニアス、ストロング、フレッシュ、ビューティフル、ラブリー、そんなキラキラした単語をたくさん使って伝えてくれる。人を褒めると言うことに照れがない、それはお国柄の違いって部分もあるのかもしれない。でも私だって本当に「嬉しい!」「ありがとう!」「かっこいい!」って気持ちが先行しているのなら間違った英語だって日本語でだって構わないから、笑顔いっぱいで表現すればよかったんだ。それができなかったのは、ことばのせいだけじゃない。自分がどうしたいかじゃなく、私がいつも相手にどう見られるかを優先して考えてるからなんだと気づいてしまった。
初めての外国で緊張もしたし、英語ができなければ何も通じ合えないと思い込んでた。でもその旅で結局思い知ったのはことばの壁よりも、素直に人と接するのが下手な私のコミュニケーションの壁のほう。それは日本で暮らしている日常でも同じことなんだ。私は、他人がどう思うかをいつも気にしている。誰かのためにことばを選んで、誰かの望む答えをしていくことが、「自分のしたいこと」だとずっと思い込んできたところがある。
結局私すごいかっこつけたがりなんだと思う。いつも誰かに認めてほしい、褒めてもらいたいって願望が、人よりも強いんじゃないかって気がする。かっこいいと思われたい、少しでも尊敬されるような人間になりたいっていう気持ち、ほかの人にもあるのかなあ。しかもたちが悪いことに、私はそういうところを隠そうとしてるし、自分でも見ないふりをしている。さも「全然他人のこととか気にしないんで」みたいな余裕な態度を取りながら、内心びくびくしている。
こんな思いにとらわれてしまうのは、たぶん、とことん自信がないからなんだってこともわかってるんだ。自分に自信がある人はきっと人からどう思われようと気にならないはずだもの。かっこわるい。悔しい。わかっちゃいるんだけど。
あれから、たくさんの国に行った。ひとりでも行った。ホームステイもした。その度に思う。外国でことばが通じないときに感じる疎外感は、同じ日本語で話しているのに自分の気持ちがうまく伝えられない、人と腹を割ってわかり合えないと思う時のそれに比べたら、どうってことない。私は英語が喋れないことよりも、自信のなさを取り繕ってかっこつけていることのほうがよっぽど恥ずかしい。こうやってひとりになりたい願望が強いのは、正論ぶったことばかり言ってる学級委員みたいな自分から少し解放されて楽になりたいからなのかも。いや、もしかしたらその逆で、徹底的にことばというツールを自分から取り上げた環境でどれだけ気持ちを外にぶつけられるか、試して、いじめて、鍛えたいのかも。
でも、作詞をしている時や文章を書くときだけは、真実の自由になれるのに。誰のためでもなく自分のために、正直に想いをことばにできるのに。自分の中から生まれることばに堂々と責任を持っていられる。だから本当はできるはずなんだ。ひとりで内側に籠って書くときだけじゃなくて、声や態度でも、外に向かってちゃんと想いを伝える術が私にもあるはずなんだ。
私なりに思う「世界共通三大良いことば」。こんにちは、ありがとう、おいしい。入り口はいつもそこ。世界中どこだって、挨拶することと、お礼を言われることと、おいしいものを食べることが嫌いな人はいないもの。
20岁的时候第一次出国,电子词典根本不离手。在伦敦录音的时候,虽然想跟当地的工作人员和音乐人直接表达自己的想法,但总是顾忌语法是不是错了,发音是不是奇怪,这么说会不会被笑什么的。几乎丧失了想自己表达的勇气。但是他们却根本不介意我的英语能力,直接当面问我“怎么了?”“你怎么看?”“这曲子配什么歌词?”
觉得对的时候,他们会跟我说wonderful、fantastic、genius、strong、fresh、beautiful、lovely这些闪亮亮的褒义词。不吝啬对别人的赞美,这也许是因为国情不同的缘故。但其实我想回复“开心”、“谢谢”、“好棒”诸如此类的心情的时候,用错误的英语,或者直接用日语回答都没关系,带着满满的笑容去表达就好了。而做不到这点,并不只是语言能力的问题。我发现我考虑的不是自己想要如何做,而是先想对方会怎么看我。
因为第一次出国很紧张,坚信自己不会英语的话什么都无法沟通。但是那次旅行结束后我发现比起语言壁垒,不擅长直率地与他人接触,挠头的人际关系才是我真正的壁垒。这跟我在日本日常生活中经历的一样。我总是在意别人怎么想。我一直认为为对方而选择恰当的语言,给予别人期待的回答就是我想要做的事情。
结果我发现是自己一直在逞强。我总是觉得自己想得到认可和赞美的欲望比其他人要更强烈。希望别人觉得我很厉害,希望自己多少能成为受人尊敬的人,这种心情别人是否也会有呢。而且糟糕的是,我把这种心情隐藏起来,装作自己也看不到。表面上表现得从容不迫,仿佛“完全不在意他人的想法”似的,但其实内心却战战兢兢。
被这种想法所束缚住的,说到底大概就是缺少自信吧。对自己有信心的人肯定不会去在意别人的想法。真是惭愧啊。好不甘心啊,明明这些自己都心知肚明。
从那以后,我去过很多国家。也有一个人去的。也有过寄宿于当地人家庭的经验。那时候我在想。在国外语言不通的时候所感受到的疏离感,和即使同样用日语交流也无法顺畅地传达自己的心情,跟别人不能推心置腹地坦诚相待的时候相比,都算不得什么了。比起我不会讲英语,明明没有自信却仍在逞能更加让自己觉得羞愧。渴望独处的意愿强烈的原因大概就是想让自己从仿佛义正言辞的班干部的状态中稍稍解放开来,变得轻松一些。不,也许正好相反,也许我想知道在彻底抛弃语言这种工具的环境中,自己是否会被击垮?我想去尝试,去刁难和锻炼自己。
但是,只有在作词或写文章时得到了真正的自由。不为任何人仅为自己诚实的写出自己的想法。为发自内心的语言堂堂正正地负责。所以,其实我可以做到。我一定有能力,不只是一个人关起门来写东西的时候,在面对向他人时,通过声音和态度也可以好好地传达出自己的想法。
我所认为的“世界通用三大良言”。你好,谢谢,好吃。大千世界无论何处,他们是永远的入口。没有人会讨厌礼貌的寒暄、真诚的道谢和品尝美食。

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